SHIMADANOMEシマダノメ

シマダノメ Season2
第3回 深掘りインタビュー
岡村和哉

シマダノメ Season2 第3回 深掘りインタビュー 岡村和哉

『シマダノメ 深堀りインタビュー Season2』の第3回は、在籍2年目の岡村和哉選手。2012年のV・ファーレン長崎と13年のカマタマーレ讃岐でJFLでのプレーも経験している苦労人が語るサッカー観は実に豊かで面白いもの。若手中心となる今季のチームで自らが果たすべき役割から、なぜチーム随一の「おしゃべり」なのかまで、幅広い話題を振りながら岡村選手のパーソナリティーを深掘りしてきました。新型コロナウイルス対策の中での写真撮影の兼ね合いもあり、最初の取材から2回の追加取材を含めて約5カ月の期間を経てようやくのお披露目となる今企画過去最長の“トーク・ショー"の始まりです!(取材日=2020年3月19日、5月27日、8月6日)

―今季は新型コロナウイルス感染の影響で、さまざまなイレギュラーな事態が出る中でのシーズンとなっています。まずは、誰もが経験したことがない4月から約1カ月半のチーム活動休止期間がありましたね。その期間で改めて考えたこと、感じたことはありますか?

まずはスポンサー様の存在の重要性ですね。僕らのお給料があるのもスポンサー様のおかげですし、そういう意味でサッカー選手の僕らにしたらスポンサー様は僕ら選手の身体をつくる「栄養」ですね。サポーターの皆さんも重要な存在であることは言うまでもないことですが、自粛期間中もいろいろな形で励ましの言葉や声援をいただきましたから、改めて有難いことだと思いました。さきほどのスポンサー様が「栄養」なら、サポーターの方々は僕ら選手の身体の中に流れる「血」だな、と。どちらも僕らにはなくてはならないもの。そういう当たり前のことを改めて感じました。

―今季ここまでチームは好調です。この現状を岡村選手はどうとらえていますか? またその要因は何だと思っていますか?

まずみんなが同じ方向を向いて進むことができているのが大きいと思います。おおざっぱに言えば、攻守両面でアグレッシブに、前向きにプレーすること。そのために何が必要かを言い合える環境にあるのもまた、勝点を順調に重ねられている理由の一つだと思います。町野(修斗選手)とかレレ(ディサロ燦シルヴァーノ選手)とかが久しぶりに先発で出たとき(※第8節・徳島ヴォルティス戦。町野選手は第1節・アビスパ福岡戦以来の、ディサロ選手は今季初の先発出場)に、しっかりと結果を出せる(町野選手が1アシスト、ディサロ選手が1ゴール)のは、たぶん、そういう環境がチーム内にあることと、自分たちからアクションを起こすサッカーをするためにみんなが一緒になって進めている証なんだと思います。

―自分たちのスタイルを貫くという姿勢も固まってきたように思えます。

第9節の松本山雅FC戦では、相手がウチと同じように前からプレスを掛けてきました。山雅はウチのプレスに対してロングボールを前に蹴る、という対応を取ったのですが、僕らは違った対応を取りました。「ボールを途中で取られてもいいから、前に蹴るのではなくて下でしっかりとつなごう、失敗を恐れずに今まで積み重ねてきたことを続けることにチャレンジしようぜ」という話がピッチの中でできましたし、前半の終わりころになってCKで相手ゴール前に僕が上がったときに「ボールを足下でつないできたから相手は疲れてきている。後半が勝負だな」という話もできたんですよね。そういうことを試合中のピッチの中で、選手だけで話すことができるようになったことも、勝ちにつながっているんだと思います。それから、無失点の試合が増えている(再開後第9節までの8試合で無失点は5試合)のは、ケンゴ(GK永井堅梧選手)のビッグセーブのおかげでもあるんだけど、前の選手がものすごく頑張って守備をしてくれていることが大きいんですよね。

―試合を重ね、勝点を積み上げることでそれぞれの選手が自信を持ってプレーしているようにも見えます。

それは確かにあるでしょうね。でも、余裕があるとか、そういう感じでもないんですよね。今みんなでやっているサッカーというのは、いざ試合が始まってしまえばとにかく体を動かさないとできないものなので、それぞれの選手が無我夢中なんですよ。余計なことを考える暇がないというか。自然に足が動く、というくらいのスピード感でプレーしていないと、チームの中で一人だけ遅れてしまう状態になるんです。そうならないように、みんなが無我夢中でプレーしているから、連動性も生まれてくるんだろうな、とは思っています。

―若い選手のJ2リーグへの順応性についてどう思いますか?

早いと思います。それこそ自信を持つことの重要性をそこに感じます。自信を持ちながら、でも、浮かれる選手がほとんどいないのは、なぜ勝てたのか、なぜ良いサッカーができたのかをしっかり理解し、それは攻守で足を止めることなく、チームメイトと連動して動いたからだとちゃんと理解し、忘れずにプレーできているからだと思います。ただ難しいのは、そこを忘れてしまう時期がやってくるかもしれない、ということです。そういう時には僕らベテランがうまく指摘して思い出させるとか、僕らのプレーを見せることで思い出させるとか、その時がまた僕らオッサンの出番になるのかもしれませんね。

―好調な時に好調な理由をしっかり理解しておくことは、大事なんですね。

そうですね。あと、シンジさん(小林伸二監督)もよくおっしゃっていますが、「良い時に、もっと高めるための努力を必死でしなくちゃいけない。そうやって良い時を継続させるんだ。悪い時に元に戻すことって、それ以上にパワーが必要なんだからな」と。これって真理だなぁと思いますよ。

―今のチーム内に「もっとよくなろう」という貪欲さがある?

この前の山雅(第9節の松本戦)との試合でも、2-1で勝ったんですけど、個人的には全然喜べなかったんですよ。僕はディフェンダーだから、最後に失った1点が悔しくて。「何だったんだ、あの失点は?」という気持ちになれたというのは、つまり貪欲になっているからだろうと思います。同じように攻撃の選手たちは2点で満足するんじゃなくて「なぜ3点目が取れなかったんだろう?」という意識にきっとなっていると思います。そう思えるかどうかは、とても大事なこと。

―さきほど話に出てきた“オッサンの出番"について。今後、チームが崩れる可能性がゼロだとは言い切れないと思うのですが、そういう時に崩れ落ちるのを防ぐブレーキになるとか、チームをまとめる、という役割を負う立場にある岡村選手が、去年1年の経験から今年に生かしたいと思うことはありますか?

去年の半ばあたりかな、勝っているのに終盤で追い付かれるという試合が続いた時期があったんです。それこそ勝てた試合なのに勝てなかったという事実に本当に腹が立って試合後のロッカーでかなりきつい言葉で若い選手たちを怒鳴ったことがありました。タッチライン目掛けてクリアするとか、誰もいないスペースにボールを蹴り出せば何の問題もなく済む場面で、ていねいにボールをつなごうとして相手に奪われてカウンターから失点する、という。確かに小林監督は目に見える時間稼ぎを嫌がりますが、それはスローインやフリーキックでわざとモタモタすうようなことであって、クリアとかはそうじゃない。「勝ってナンボの世界なんだから、そこはもっと賢くやろうぜ」ということをみんなの前でバァーと言って、その後にテラ(寺岡真弘選手)も続いたのですが、みんな若いからなのか、誰かが言い返すわけでもなくシーンとなった。僕らが言ったことは間違いではなかったとは思うんですが、言い方は考えるべきだったなと後で反省したんですよね。あれは叱ったんじゃなくて、怒ってしまったんですよ。

―「叱る」と「怒る」の違いですね。

追い付かれた、あるいは負けた悔しさという感情をそのままぶつけた「怒り」じゃ、相手には伝わらないということを改めて学んだんですけど、そうなってしまう時って、自分の状態が良くない時でもある、ということも分かったんですよね。自分が地に足がついてどっしりとしている時は「良い声や言葉」が出せる。そういう時はポジティブに自分の内面から出てくるのですが、どこか心や体の状態が不安定な時は、「オマエがミスしたらオレのせいにもなる」とか、すごくネガティブな感情になってそれが言葉として出てくるんです。若い選手ならそれもまあカワイイかとも思えるけど、僕は今年、イケさん(池元友樹選手、35歳)に次いでチームで上から2番目の32歳なので、そんなオッサンがそれじゃいけないと思って、ホンマにやったらいけないことをやったら理詰めで叱るけど、もっと若い選手の声を聞く姿勢や若い選手が何かを言えるような状況や雰囲気はつくっていかなきゃいけないと、去年思ったし、今年は意識的にそうしています。要は自分の状態がしっかりしていれば、ほかの人の声に耳を貸す余裕も生まれるということですね。

―「自分の状態」とういうのは心身両面での状態についてですよね。それを良好に保つために必要なことは?

自分が何を目指すか、その目標をしっかり認識していること。その目標はどちらかというと近くのものではなくて遠くの目標であって、例えば「どういう人になりたいか」とかです。

―岡村選手はどういう人を目指しているのですか?

僕が讃岐でプレーしている時、香川県に住んでいる時にお世話になった方で、僕を変えてくれた人がいます。その方はある企業の社長さんで、讃岐の選手とほかの企業の社長さんたちが参加するバーベキューの場で出会い、意気投合したんです。その後、その社長さんの家族の方々とも接するようになる中で、それまで“カッコつけのサッカー選手"だった僕が、その社長さんを含めた家族の方々のようになりたないと思うようになった。謙虚だし、誰にでも優しい。社長さんには娘さんがいるのですが、その娘さんは社長である父親に向かってちゃんとした自分の意見を言えるし、それを聞いた社長もその意見に誠実に向き合って返答する。一瞬で家族会議が行える、そういう雰囲気があった。ある時、結婚の話になって僕は「結婚はサッカー選手をやめてからですよ」と言うと、社長さんは「結婚したいと思うような人が出てきたらすぐにすべき。結婚って人生を歩む上ですごいパワーになるよ」と。実際に僕が結婚してからあの時の社長さんの言葉はホンマやったなぁと思うんですよね。その社長さんと出会って良かったなと思えるのは、僕に『サッカーだけをやっていればいいのではない』ということを気づかせてくれたからです。その人みたいに生きていきたい、というのが僕にとっての大きな目標ですね。

―では、サッカー選手としての大きな目標や理想は?

サッカー選手としては、メンタルもフィジカルもそして技術においてもブレずに波なくやれる、それが大人のサッカー選手だと思うし、僕がこれから目指すべき理想像なんです。あくまで個人的な考えですが、僕はサッカーをプレーする上では、チームありき、です。だからチームのために何ができるか、何をすべきか、を常に考えるべきだと思っています。それは試合に出ている時も出ていない時も、です。チーム全体を見ながら、悩んでいる若手に声をかけたり、ご飯に誘ったり、とか。でも、やりたいとは思っていても、まだなかなかできていないのが現状です。

―チームのため、あるいはチームメイトのために何かをやる、というのは簡単なことではありませんよね。

そうですね。また讃岐の時の話になりますけど、ヒザを手術した時に、さきほどの社長さんを含めて、周りの人から本当に優しくしてもらったんですよ。入院中はもちろん病院食が基本なんですけど、あの色合いとか食器の感じとか、こう見えて僕は繊細なので(笑)、病院食を受けつけなかったんです。神戸からオカンが来るときは手料理をつくって来てくれるんですが、それも週に1回、2週間に1回くらいで、それ以外の平日は毎日、その社長さんが病室に来てくれて「今日は何が食べたい?」「今日は唐揚げが食べたいです」という調子の会話をかわして食べるものを持ってきてくれて、退院してからもしばらくは不自由だろうからと僕の家に車で迎えに来てくれて自分の家に連れて行ってくれて奥さんの手作り料理を食べさせてくれました。それを半年間くらい続けてくれました。当時、僕はリハビリをしていましたが、先が見えない状況に結構やさぐれていてお酒もよく飲んでいたのですが、パパさんと呼んでいるその社長さんが午前3時くらいまで付き合ってくれて、奥さんも起きて待ってくれていて僕をまた僕の家まで車で送ってくれる、という……。何の見返りも期待しないでそういうことを自然とできる人になりたい、簡単ではないし、まったく同じようなことはできないけれども、少しでも近いようなことができればなと思う。若手の悩みを聞くとか、ご飯に誘うとか、そういう小さいことからやっていって人として成長していきたいなと考えているんです。

―ちなみに讃岐在籍時に手術したのはどの部位ですか?

両ヒザです。右ヒザはそれこそ讃岐でプレーしている時に前十字靱帯が切れて、左ヒザは大学時代に痛めていて保存治療で手術なしで過ごしていたんですけど、どうせなら一緒に手術しようということになって。でも、関西の病院に行ったら両ヒザを手術した後、リハビリまで面倒を見てくれる病院がどこもなくて。スポーツ選手で一気に両ヒザを手術する例が少ないから断られたのですが、香川県の病院で「それならば自分たちがやる」と手を挙げてくれた先生が二人いたんです。それで片膝ずつ二人の先生が執刀してくれました。左ヒザを担当してくれた先生は讃岐のチームドクターも務めている方で、昨年もミクスタにいらっしゃった時はわざわざ一泊してご飯を一緒に食べました。今でもそういう仲です。その先生や社長のパパさんとの出会いが僕を変えてくれました。だから、いま北九州にいる若い選手たちにとっての「自分を変えてくれた人」に僕もなりたいな、と思うんです。

―人間、苦しい時の出会いというのはその後の人生において影響が大きい。

良い時には人って自然と集まってくるけど、しんどい時、苦しい時って、やっぱり寄ってこないというか、離れていくというか。だから、そんな時に親切にされるとか優しくされると、うれしいし、それが苦しいところから脱出するためのパワーにもなる。だから、その後は、その時に助けてくれた人たちに恩返しをしたいと思うし、そのために頑張ろうと思えるし、頑張れるだけの強さを身につけようと考えるようになるんでしょうね。

―サッカー選手として、「去年の自分」よりも「今年の自分」はどこを成長させたい、しなければいけないと考えていますか?

正直、全部。特にフィジカルの部分は年齢的にも落ちてくるので、余計にそこは頑張らないといけない。若い選手はいま伸びるだけ、そこについていけるようにフィジカルの部分はしっかり意識して高め、維持していかないといけない。それでも若い頃に比べると体は動かなくなってくるので、それをカバーするための予測力を高めなきゃなと思います。細かいプレー面で言うと、ビルドアップのところですね。隣でテラ(寺岡選手)を見ていると「うまいなー」と思って、自分でそこを意識してプレーすると、ものすごく面白いんですよ。そこを意識し過ぎて守備がおろそかになることもあったので、そこのバランスはうまく取りながら、ですけどね。

―ビルドアップでの面白さを具体的に教えてください。

パスを出す際の駆け引きですね。僕が右サイドでボールを持った時、右サイドバックのワタル(野口航選手)や右サイドハーフのダイゴ(髙橋大悟選手)に出すパスが多くなるのですが、視線をダイゴに向けることで相手選手のポジションが変ってワタルへのパスコースが空くとか、その逆もあるし、何回か二人にパスを出していると相手のボランチがそれを防ごうと早く動き出し、そうなるとフォワードのマチ(町野修斗選手)やイケさん(池元選手)へのタテパスのコースが空くからそこを狙うとか、自分のそれまでのプレーを“前振り"に使った相手選手との駆け引きをしながらのビルドアップが楽しいんです。ただ、それをやり過ぎると、守備がおろそかになる。それはディフェンダーとしてはまずいこと、本業は失点をゼロに抑えることですからね。得点が取れなくて0-0で引き分けに終わっても、ディフェンダーとしての評価は悪くないわけで、次の試合も使ってもらえるはず。だから、タカシ(河野貴志選手)やコウタ(村松航太選手)にも「やっぱりディフェンダーにとって大事なのは体を張ったりして自分たちのゴールを守ること。それを忘れないようにしようぜ」と言っていて、そこは自分で言っている以上、しっかりとしながら、その上でビルドアップでの成長を目指さすということです。

―ビルドアップを意識し過ぎて生じる守備面のマイナスとはどういうものですか?

自分が考えて相手を動かして良いビルドアップができている時は、正直、楽しくて気持ちがイイんです(笑)。気持ち良さに浸っていると「もしパスをインターセプトされたら」とか「パスを出した先で相手にボールを奪われたら」という仮定を頭の中でしにくい状況になっているから、実際にそうなった時の反応が遅れるんです。さっきも言った「守備での予測」が遅れるから、相手の動きに反応できなくてピンチを招いてしまうということです。

―チームとして去年よりも若返りが進みました。若手の成長を良い刺激にできるかどうかは大事ですか?

刺激の一つが「悔しさ」だと思うんですけど、それがなくなったら選手をやめた方がいいと思う。歳を理由に「もうアカン」となったら僕は辞めます。

―「試合に出なくてもいい」とはならない。

それは当然です。若い時は「試合に出たい」という気持ちだけでいい。でも歳を重ねた選手はそれだけではなく、チームのことも大事にせなアカンと思います。自分が試合に出るために一生懸命にやる。でも出られなかった。ならばチームのためになることを一生懸命にやる。その切り替えが僕らベテランには必要かな。難しいことだけど、やりがいはある。もっと、イケさんとか、ヨウヘイ(内藤洋平選手)とも話して、あとリュウ(川上竜選手)も若い選手が多いチームのキャプテンを務めるという所で難しさはあるだろうから、僕らがしっかりサポートできたらな、と思っています。

―ギラヴァンツ北九州の“2大スピーカー"と言えば、岡村選手と國分伸太郎選手ですが、二人とも岡山県出身なんですね?

僕は出生地が母の実家がある岡山ですが、育ったのは兵庫県なんです。だから岡山出身者が“おしゃべり"という仮説は成り立ちませんよ(笑)。僕がおしゃべりになったのは、オカンの血を継いだからかな、同じことを何回も言うし(笑)。

―クラブハウスのロッカールームでもよくしゃべっているそうですね。

とにかくチームメイトが大好きで、練習に来てアイツらと会えるのが本当にうれしいから、しゃべっちゃうんですよね。

―でも、練習後に一番早く帰るのも岡村選手ですよね?

あれは、早く家に帰って嫁と犬に会いたいからです。

―いつご結婚を?

おととしの9月です。犬はいま5歳ですから、嫁さんよりも早く一緒に暮らしています。犬種はミニチュアピンシャー。カワイイけど、気性が荒くて腹立つ時も多い(笑)。とにかく、家が一番落ち着きますから早く帰りたいんです。ちなみに、家では僕、静かなんです。ほとんどしゃべりません。

―信じられません!

いや、ホントです。結婚する前は、ほとんど家にいないタイプの人間だったんですが、結婚してから家が一番落ち着く場所になりました。

―奥さんはよくしゃべる方ですか?

普通だと思います。でも、いろいろと考えて言葉にしてくれていますね。僕が試合に出られている時、出ることができない時とか、勝てていない時とか。付き合っている時はたまに「次の試合には出るん?」とか聞いてきましたが、結婚してからはほとんど聞いてきませんね。

―“香川のパパさん"の「結婚はいいよ」との言葉を実感しているんですね。

誰が批判していても、嫁さんは味方してくれると分かったので、プレーのことを含めて、周囲からの批判的な言葉があったとしても、へんに気にし過ぎることがなくなりました。精神的に安心、安定していますね。結婚する前、あるいはしてからすぐの頃は、チームをクビになることがとても不安でした。でも、結婚した2か月後に讃岐をクビになったんです(笑)。あれは確か、シーズン最終節が終わったあとのオフに、嫁と友達たちとで京都旅行に行って晩飯を食べている時。代理人から連絡が来て「讃岐が今季で契約を満了にしたい」と言っていると。僕はそのシーズン、ほぼフルで40試合に出ていたので、代理人の冗談と思って「またまたー」って軽く返したら、「いや、マジだから」と。それでトライアウトも受けに行って、その間に北九州からオファーをもらったんですけど、そのことは嫁には話していなくて、でもそろそろ決断しなきゃいけない時期になったから、夜ご飯の材料をスーパーに買いに行く車の中で「北九州からオファーをもらったんやけど」と話したら「あー、いいんじゃなーい」って。こっちは結構悩んでいたのに軽い返事やなぁーと思って嫁の方を見たら、頭に“10円ハゲ"ができてたんですよ。何も言わなかったけど、一緒に悩んでくれてたんだなと分かって、それから嫁に何も隠すことはないな、と思うようになりました。讃岐をクビになった時、嫁さんのお父さんに電話する時が一番緊張しました。でも、娘が僕と結婚するようになってサッカーに興味を持ってスタジアムに足を運んでくれるようになったお父さんも特に怒ることなく、北九州でプレーするようになってからはギラヴァンツのアグレッシブなサッカーにハマって、香川から何度もミクスタに足を運んでくれています。そういうことも含めて、結婚して良かったなぁ、と。

―良い話ですねー。

結果、「良い話」になりましたね。自分のことを大事にしてくれる人を大事にしていれば、人生うまくいくんじゃないか。最近はそんなふうに思います。

文・島田徹 写真・筒井剛史

(次回『シマダノメ 深堀りインタビュー Season2』もお楽しみに!)

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