SHINMOJI KININARINYO新門司キニナリーニョ

新門司キニナリーニョ 第1回
村松航太 選手

2021年シーズン以来の北九州帰還のリリースを見て素朴な疑問が沸きました。なぜ帰って来たのだろう。

昨季、ギラヴァンツ北九州を離れて完全移籍で加わったクラブはJ2リーグを戦うV・ファーレン長崎。そこでセンターバックとしてあるいは右サイドバックとしてリーグ戦で計26試合に出場しています。

なぜ、J2という一つ上のカテゴリーでプレーすることで自身の価値を高め成長する機会を捨てて北九州というクラブと街に帰って来たのか、その疑問に村松選手が答えてくれました。

「長崎の監督がシーズン半ばに代わった(松田浩監督からファビオ・カリーレ監督へ)こと」

「自分の立場がチーム内で変わる中で、一番早いタイミングでギラヴァンツ北九州がオファーを出してくれたこと」

「自分のプロ生活をスタートさせてくれたクラブ、お世話になったクラブに恩返しをしたい。僕一人の力では大きく変えられないかもしれないけど、チームが良くなるように少しでも力になれればとの思いもあります」

「ギラヴァンツ北九州に同期入団した永野雄大や、順天堂大での後輩にあたる長谷川光基ともう一度同じチームでプレーする楽しみもありましたしね」

昨季終了後に長崎以外のJ2クラブも獲得に興味を示してくれているという情報が村松選手にも入っていたようですが、その正式オファーを待たずに北九州に帰ることを決めたと言います。

北九州に帰って来た理由のいくつかを明かしてくれた村松選手ですが、最も大きな理由は『後悔』にあるように感じました。

村松選手はプロ2年目の2021年シーズンにキャプテンに指名されました。30歳を越える経験豊富な選手が複数人いる中での抜擢でした。

「プロ1年目に40試合に出させていただきましたが、それでチームを自分色に染めたわけではなかった。だから2年目の自分がキャプテンだなんて、という気持ちがありました」

「言いたいことを少しずつ我慢して、でもチームがなかなか勝てない中で、いろいろと考えすぎるようになり、自分も、そしてチームもうまくいかなくなりました」

「長崎に行きましたが、2021年の後悔は心の中に残ったままでした。遠慮することなく、もっといろいろな選手とコミュニケーションを取って、サッカーについての深い話をすることができればチームがJ3に降格することはなかったんじゃないか、と」

村松選手が長崎の一員となった2022年開幕前のギラヴァンツ北九州とのトレーニングマッチの際に、同期である佐藤亮選手(現・ザスパクサツ群馬)と永野選手にこう伝えたと言います。

「チームメイトとたくさん話せ」

引き分けに終わった3月5日のFC岐阜との2023年シーズンの開幕戦。20分に先制点を許した直後、自陣内で選手たちの輪ができました。その中心にいたのは村松選手です。何を話していたのでしょうか?

「悪くないから続けよう、という話をしました」

その後のチームは失点に落胆することなく、それまでのアグレッシブな攻守を実践して後半終盤の同点ゴールへの流れをつくり出したのです。

コミュニケーションについてさらに聞いていくと、こんなふうに答えてくれました。

「田坂監督も選手間のコミュニケーションの重要性を説いてくれるので、かなり自分としてもいろいろな選手と話しやすくなりました」

「若手が多いのでプレー面で気になることも多くて、かなり厳しいことも言っています。でも同時に相手の意見を聞くようにしています。若手から話を聞きだす、というか。良いコミュニケーションは一方通行ではダメ。意見の交換があってはじめて良いコミュニケーションと呼べるのだと思います」

「若手とそういうコミュニケーションを取ることで、自分もサッカーのことをより深く考えるようになったし、反省もめっちゃするようになったんですよ」

後悔が村松選手を大きく変えたようです。そして変わるために北九州に帰って来たんだろうとも感じます。

今季の村松選手にチームキャプテンの肩書はありませんが、そんなことは関係なく練習グラウンドで、クラブハウスでいろいろな選手と話す場面をよく目にします。その内容までは聞こえませんが、時に笑顔で、時に真剣な顔で。その会話が自分とチームの、成長の一端になっていくのでしょう。

[文:島田 徹]

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