ギラヴァンツ北九州 GIRAVANZ OKAYAMA」ロゴ

シマダノメ

low-header-bg
  • facebookアイコン
  • googlePlusアイコン
  • lineで送るアイコン
  • はてぶアイコン

現役引退の山岸範宏選手からのラストメッセージ

現役引退の山岸範宏選手からのラストメッセージ 18 年間で蓄積したコトバの宝物

12月2日にミクスタで行われたJ3リーグ第34節の福島ユナイテッドFC戦で現役を退いた“ギシさん”こと山岸範宏選手。ギラヴァンツ北九州での2年間で有形無形の財産をチームメイトに、ファン・サポーターに、そしてクラブに残してくれたが、プレーヤー人生を終えるにあたって、サッカーとギラヴァンツ北九州に関わるさまざまな人たちへのコトバの宝物も残してくれた。

―中京大学時代のユニバーシアード大会優勝という経験を引っ提げて浦和レッズに加入した山岸選手でしたが、定位置を確保するのは簡単ではなかったはずです。その苦しいチャレンジの中でどんなことを意識していたのでしょうか?
「ゴールキーパーは、その特性上と言いますか、控えという立場から定位置を奪取することが難しいポジションと言えると思います。一度、試合に出られない状態になると、試合に向かって行くモチベーションが保ちづらく、間近の目標が見えにくい状況となります。浦和のゴールキーパーコーチである土田尚史(つちだ・ひさし)さんから常々言われていたのが「陽が当たっていない時の積み重ねが大事だ。前向きな思考、メンタル、振舞いを含めて、どのような姿勢で一日を過ごせたか、その積み重ねが、いざスポットが当たった時の周りからの信頼感や自分のパフォーマンスにつながってくるから」という言葉でした。その言葉もあり、自分の中では「その日にやれることはすべてやる」という考えで日々を過ごすようになりました。試合に出ていれば、そこで達成感、充足感を得ることができるのですが、試合に出ていないとそれを得る機会が少ない。ただ、そんな状況でも達成感・充足感を得ることはとても大切で、それによって選手として、もしかしたら人間として成長できるのではないか、と思いました。だから、試合に出ることができていない自分がどうやってそれを手にしたらよいのかと考え、日々の練習、そして言動を含めた一日の振舞いの中で充足感・達成感を得ようという結論に至ったのです。そしてそれが次なるモチベーションへつながるはずだ、と。だから『その日にできることをすべてやる。気が済むまでやる』ということをテーマにして一日一日を過ごすようになったのです。そしてトレーニングにおいては、僕は不器用な人間なので、とにかく質の高い練習を継続すること、ミスが即失点につながるポジションなので、当たり前のプレーを当たり前に、かつ正確に行うことを意識しました。それがチームの安定感につながり、結果として外からの自分に対する評価にもなるのだと理解するようになりました」
―まさにポジティブ・シンキングですね。
「ネガティブなことを並べたらキリがありません。もちろん、なんでオレを使わないんだ、という悔しい思いは当然あります。けれども、それを表に出すことはプロとしてよくないと思いましたし、でも試合に出られないからと言って手を抜く、これくらいでいいや、と思うのはプロとしての責任を果たせていないとも思うのです。僕らはサッカーをすることで対価を得ている。この世に楽な仕事はないと思いますが、子どものころから好きでやってきたことを仕事として、生活の糧を得ていることはすごく幸せなことなのです。プロになったばかりのころに、40歳まで現役でやろうなんてことは考えてもいませんでしたが、若いころの日々の積み重ねがあっての『今』だと思いますし、練習量だけではなくて、試合に出ることができていない時の振舞いや考え方が、結果的に18年間のプロ生活を支えてくれたんじゃないかと思います。そして、僕はこれまで何度も理想のゴールキーパーについて聞かれてきましたが、正直に言って、『〇〇というクラブの、●●という選手です』という答えはしてきませんでした。なぜなら、僕にとっての理想のゴールキーパーは架空の選手だからです。さまざまなゴールキーパーの良い所だけを集めた完ぺきなゴールキーパー、それが僕の理想のゴールキーパーだったからです。でも完ぺきな選手、100点満点の選手なんていません。それでもそこを目指す。それが僕のこれまでのサッカー人生でした。」
―毎日充足感を得るという取り組みは簡単ではないはずです。だからこそ、チャンスが巡ってきた時には、ものすごく力が入ると思います。
「はい、力み過ぎたらダメだと思います。でも自分の場合は、その力みを意識的に抑えていたわけではありません。それまでの練習過程において『これだけのことをやってきたんだから大丈夫だ」という自信を持つことができていれば、変に力が入り過ぎることもないのです。浦和時代の土田ゴールキーパーコーチからも「いつも以上の自分を出そうとするな。ありのままの自分を出せば絶対に大丈夫だよ」と、言われていたから、肩ひじ張ることなく、飾ることなく訪れたチャンスの中でプレーすることができていたと思います。元々の自分の性格は、肩ひじ張って、鼻息が荒くなるほうなので、そういう意味で、土田さんは自分のことをうまくコントロールしてくださったなと思います」
―浦和ではステージ初優勝(2004年)、リーグ制覇(2006年)などチームのタイトル獲得に貢献しましたが、そういう経験はその後のサッカー人生に大きな影響を与えたのでしょうか?
「次のシーズンになればそこはリセットされるんですよね。前の年の優れた結果の余韻にいつまでも浸っていることはいいことではありません。ただ、優勝はすべての選手がキャリアの中で必ず味わえる、というものではない。そういう意味で価値の高いものであることも事実です。それによって自分の中で生まれる自信というものがその後に与える影響は大きいと思います。ただし、必ず良い影響を及ぼす、というわけではありません。慢心は悪影響となります。だから、『リセット』が必要なのです。また、タイトルを獲得すれば他チームからの警戒は強くなります。その警戒を上回るのはとても大変なことなのですが、逆に言えば個人として、またチームとして成長する絶好の機会でもあるわけです。そういう意味を含めて僕はモンテディオ山形でもそしてギラヴァンツ北九州でも、特に若手選手たちには『何でもいいからタイトルを獲得するべきだ』と伝えてきたのです。J1だけではなく、J2でも、J3でも、あるいはカップ戦でもいい、何かの大会で頂点に立つことで得られるものを体感してほしい、と。でも、それを達成したら必ずリセットするんだよ、とも」
画像
―われわれがギシさんのモンテディオ山形時代を思い返す時出す時には、どうしても2014年のJ1昇格プレーオフ準決勝の磐田戦でのヘディングによる決勝ゴールが頭に浮かんできます。
「あのゴールは奇跡以外の何物でもありませんね。全体練習後の少し遊びの要素も入った居残り練習でさえも、あんなにきれいなヘディングゴールが入ったことはありません。ただ、あの場面に関しては、浦和レッズでお世話になったペトロヴィッチ監督からの教えの中で「とにかく相手が嫌がるプレーを心がけなさい」というものがあったのですが、あの場面で何がそれにあたるのかを考えました。ジュビロ磐田のコーナーキックの守備のオーガナイズでは、ニアサイドに前田遼一選手が入り、ヘディングに強い彼はゴール前に入ってくるボールをニアサイドで弾き返す役割を担っていました。だから、彼の前に自分が入って頭で触ってボールのコースを変えることができれば相手は嫌だろうな、ゴール前でスクランブル状態になって何かが起こるかもしれないな、と考えたわけです。だからコーナーキックになって自分がジュビロ磐田のゴール前に上がって行った時にチームメイトに「オレ、(前田)遼一の前に入って行くから」と宣言したんですよね。だから、それが直接ゴールインしたのはたまたまで、本当の狙いはコースを変えることだったのです。試合後に当時モンテディオ山形の監督を務めていた石崎(信弘)さんも『みんなの思いが乗り移ったゴール』とおっしゃっていましたが、その通りだと思います。いろいろなものがリンクしないと、ああいう奇跡は起きない。ただ、あのシーズンはイシ(石崎)さんが山形の監督に再就任して1年目のシーズンで、イシさんが攻守で当たり前のことを当たり前にやることを徹底して指導して、その成果が表れたプレーオフだったとも思います。あの時の経験で、大きな結果を残すために、チームが同じ方を向いて、同じ絵を描けるか、それが本当に大事なんだということを実感しました」
―2017年にモンテディオ山形からの期限付き移籍という形でギラヴァンツ北九州に加わり、今季は完全移籍という形となりました。この2年を振り返ってください。
「正直に言うと、2017年、山形から移籍してきた時に自分が思い描いていた青写真からは、個人としてもチームとしても違った成果と現実になりました。だから悔しさが残る2シーズンになりました。もちろん、自分の出番が減る中でモヤモヤとした気持ちはありましたが、チーム内の立場、あるいは今までのキャリアから、その感情を表に出すことは良くないことだろうと判断をしました。じゃあ、自分は何をすべきかと考えた時に、より質の高いもの、それはゴールキーパーという自分のポジション上、ディフェンスに関するものが多くなりましたが、質の高いディフェンスをするためにどうしたらよいかを常に考えて言葉にして伝えてきました。もちろん、いろいろな要求をするからには自分もしっかりとプレーしないと説得力がないことを十分に理解していたので、自分のこともしっかりするように努めました。相手に求めるからにはまずしっかりと自分からやる。それを改めて強く意識した2年間でもありました。ピッチを離れたところで言うと、北九州の街は本当に生活しやすかったですね。おいしいものもたくさんいただきました。ただ、これほどの『うどん文化』だとは驚きでした(笑)、特に北九州にやってくる前の山形が『そば文化』でしたからね。そして、北九州という街が持っているポテンシャルの高さも感じることができました。これからは浦和レッズ、モンテディオ山形と同様に、ギラヴァンツ北九州の一人のファンとして応援し、見守り続けさせていただきたいと思います」
画像
―ギシさんの今後について。
「まだ白紙の状態ですが、指導者の道に進みたいとは思っています。ゴールキーパーとして今まで経験してきたことを伝えるために何が必要かを整理しながら、勉強しながら、チームの勝利に貢献できるゴールキーパーや選手の育成と、日本サッカー界の発展のために貢献できれば、と思っています。自分の体を通して経験してきたこと、培ってきたものを、しかるべきタイミングで分かりやすく短いフレーズで伝えるか、そこが大事だと思います。もちろん、それが簡単ではないということも分かっていますが、そこに対しては粘り強くチャレンジしたいな、と考えています。18年間のプロ生活を支えてくださったすべての方々に深く感謝しています。そして現役最後の地となった北九州の街の方々、ギラヴァンツ北九州に関わるすべての皆さん、本当にありがとうございました」

画像

画像

画像

画像

画像

画像

画像

画像

画像

画像

画像

GK1 山岸 範宏 選手 /Norihiro YAMAGISHI

生年月日

1978年5月17日(40歳)

身長/体重

185cm/88kg

出身地

埼玉県

所属歴

中京大 - 浦和レッズ - モンテディオ山形 - ギラヴァンツ北九州

初出場

2002年3月16日 J1第3節 浦和レッズvs 清水エスパルス
(会場:日本平スタジアム)

出場記録

所属 リーグ リーグ戦 カップ戦 天皇杯
出場 得点 出場 得点 出場 得点
2001 浦和 J1 0 0 0 0 0 0
2002 浦和 J1 26 0 3 0 1 0
2003 浦和 J1 10 0 5 0 1 0
2004 浦和 J1 11 0 2 0 4 0
2005 浦和 J1 1 0 1 0 3 0
2006 浦和 J1 24 0 6 0 0 0
2007 浦和 J1 1 0 1 0 1 0
2008 浦和 J1 1 0 3 0 1 0
2009 浦和 J1 11 0 8 0 1 0
2010 浦和 J1 34 0 0 0 4 0
2011 浦和 J1 9 0 2 0 3 0
2012 浦和 J1 0 0 3 0 1 0
2013 浦和 J1 9 0 3 0 1 0
2014 浦和 J1 0 0 0 0 0 0
2014 山形 J2 24 0 - - 6 0
2015 山形 J1 34 0 6 0 3 0
2016 山形 J2 41 0 - - 1 0
2017 北九州 J3 17 0 - - 1 0
2018 北九州 J3 5 0 - - - -
J1通算 171 0 43 0 24 0
J2通算 65 0 - - 7 0
J3通算 22 0 - - 1 0
通算 258 0 43 0 32 0
pagetop