INFORMATION新着情報

2023.07.28

映画の街・北九州 ロケ地巡りツアー 映画「花と龍」若松編を玉井会長がガイド

「北九州国際映画祭」応援企画として、九州シネマポートが主催するロケ地巡りツアー(全3回)。6月16日(金)に第1回目が開催され、映画「花と龍」の舞台となった若松のガイド役を、ギラヴァンツ北九州の会長・玉井行人が務めました。当日の様子をレポートします。

歴史と景色を楽しみながら、根底を流れる思いに触れる

ツアー当日は、梅雨を忘れさせるような晴天。午前10時、参加者39名とスタッフを乗せたバスは、小倉から若松に向かった。ナビゲーターとしてラジオパーソナリティの鶴田弥生さんが同行し、ガイド役の玉井会長との対話を通して、「花と龍」の世界をひも解いていった。
「花と龍」の原作者は、北九州市出身の小説家・火野葦平(本名:玉井勝則)。明治から昭和の若松を舞台に、著者の両親である玉井金五郎とマンが石炭荷役請負業「玉井組」を築いた実話が綴られている。ギラヴァンツの玉井会長は、玉井金五郎とマンの孫であり、火野葦平の甥。医師の中村哲さんも金五郎とマンの孫で、玉井会長とはいとこにあたる。
石炭港湾荷役の過酷な労働現場では、立場の弱い人たちが互いに支え合って働いていた。玉井家が大事にしてきた「困っている人を助ける」信念にも触れつつ、若松の豊かな歴史と景色を楽しむ一日となった。

石炭積出港として栄えた若松南海岸

最初に向かったのは、かつて日本一の石炭積出港として栄えた若松南海岸。若松の歴史を伝える明治・大正期の建築物や史跡が、今も多く残る場所だ。現地に着くと、玉井会長が昭和初期の地図や写真パネルを見せながら、当時の状況や映画のロケ地の説明をした。
参加者全員で記念撮影をした後、2つのグループに分かれて、「旧ごんぞう小屋」と「旧古河鉱業若松ビル」へ。

「旧ごんぞう小屋」の前で、玉井会長から若松の繁栄を支えた「ごんぞう」の話があった。ごんぞうとは、港湾荷役をしていた労働者のことで、筑豊炭田などから鉄道で運んできた石炭を、洞海湾の貨物船に積み込む作業をしていた。火野葦平は小説の中で、ごんぞうたちの活気ある生活を描いている。小屋は休憩所として使われたもので、現在の建物は1996(平成8)年に当時を模して建てられた。
荷役の仕事は石炭の粉で真っ黒になるため、街にはたくさんの銭湯があった。銭湯の前には井戸があり、汚れを洗い流してから風呂に入る。女ごんぞうが井戸水を浴びるときは、周囲から見えないように円陣を組んでいたという。玉井組を切り盛りしていたマンは、「同じ仕事をしているのになぜ女性は給料が低いのか」と訴え、労働条件の改善に努めたという話も興味深かった。

「旧古河鉱業若松ビル」は、古河鉱業㈱の事業所として1919(大正8)年に竣工し、1944(昭和19)年まで石炭関係の業務が行われていた。現在は改修工事を経て、観光施設やコミュニティホールとして利用されている。ルネサンス様式を基調とした赤煉瓦造りで、若松南海岸のシンボル的な建築物である。
館内では、昭和初期に描かれた若松の鳥観図を示しながら、館長の若宮幸一さんが当時の様子を解説した。館長が小説「花と龍」の一節を読み上げると、緻密で美しい地図上に、街のにぎわいが浮かび上がるようだった。

グループ合流して「わかちく史料館」に移動。この史料館では、1890(明治23)年から若松と共に歩んできた若築建設の軌跡をたどりながら、洞海湾の開発事業を中心とした歴史や、石炭事業に携わった人々の暮らしに触れることができる。
写真、映像、模型など貴重な資料が多数展示され、初めて来館した人たちは豊富な展示物に驚いていた。施設のガイドさんから「当時は日本を代表する企業が若松に集まり、若松への転勤は栄転、重役コースといわれていました」と聞き、重要な場所だったことを改めて実感した。

火野葦平が暮らした旧居「河伯洞」

「わかちく史料館」の後は、バスに乗って高塔山へ。若松の高塔山は、九州屈指のアジサイの名所。山頂にある高塔山公園で、色とりどりに咲き誇るアジサイを鑑賞した。
待ちに待った昼食は、丸ふじの「銀河鉄道999 夢(ドリーム)弁当」。爽やかな風が吹き抜ける木陰で、冷たいお茶と一緒にいただいた。

高塔山公園の展望台からは、洞海湾と若戸大橋、若松や戸畑の街並みを一望できる。ここでしか見られない景色を堪能し、心もお腹も満たされて次の目的地へ。
バスの中では、玉井会長が高塔山にまつわる話を披露した。山の南斜面には、かつて多くの邸宅が建ち並んでいたという。炭鉱経営者として大成功し、「石炭の神様」と呼ばれた佐藤慶太郎の偉業を聞きながら、邸宅跡の「佐藤公園」そばを通り、火野葦平旧居に向かった。

火野葦平旧居「河伯洞(かはくどう)」は、北九州市指定文化財に指定されている。「河伯洞」は河童の住む家という意味で、葦平が河童をこよなく愛したことから名付けられた。ここに移り住んだのは1940(昭和15)年。34歳から53歳で自死するまで19年間を過ごし、「花と龍」をはじめ数々の人気小説を生み出した。

「河伯洞」では、館長の坂口博さんが映画「花と龍」を中心に語り、管理人の藤本久子さんが葦平の人生や作品について紹介した。
「花と龍」の映画は、1954(昭和29)年から1973(昭和48)年まで、6本作られている。それぞれ違った魅力があり、最も原作に近い作品は1作目の藤田進主演作だという。高倉健主演作を思い浮かべる人は多いが、上映時に人気だったヤクザ映画として描かれているため、実話とは違う部分が多いそうだ。いずれにしろ、それほど何度も映画化されるとは、「花と龍」には制作者や観客を魅了してやまない力があったのだろう。

若戸渡船に乗って洞海湾を渡る

再び、バスは若松南海岸へ。若戸渡船に乗る前に、「石炭会館」に立ち寄った。「石炭会館」は若松区に現存する洋風建築としては最も古く、1905(明治38)年に建てられた。石炭積出港の若松を象徴する建物といわれ、「若松石炭商同業組合」の事務所であった。現在はテナントビルとして利用されている。
希望者のみバスを降り、ビル1階のクロワッサン専門店「三日月屋」で買い物をする人や、ソフトクリームを食べる人も。帰途につく前に、しばしの自由時間を楽しんだ。

若松渡場に集合し、渡船で洞海湾を渡って戸畑へ。ここで玉井会長はツアー一行と離れ、埠頭からみんなを見送った。「ありがとうございました!」と互いに手を振りながら、若松の地を出発。海岸沿いの建築物や、赤い若戸大橋を眺めながら、3分間の船旅を満喫した。 
戸畑渡場で待機していたバスに乗り、小倉駅新幹線口にて解散。「今日はとても楽しかった」「また参加したいです」と、帰り際に声をかける人も多く、皆さんの笑顔から喜びが伝わってきた。
映画「花と龍」を通して、若松の歴史やこの地に生きた人の魅力にも触れたロケ地巡り。「故きを温ねて新しきを知る」を、身をもって感じる1日だった。街に誇りを感じ、前よりもっと北九州が好きになった。

【参加人数】

39名

【当日の行程】

9:30~ 受付(JR小倉駅新幹線口バス駐車場)
10:00 バスで小倉を出発し、若戸大橋を渡って若松南海岸へ
10:30 記念撮影
10:40 「旧ごんぞう小屋」、「旧古河鉱業若松ビル」の見学と解説
11:40 「わかちく史料館」の見学と解説
12:20 バスで高塔山へ出発
12:40 アジサイの咲く高塔山で昼食(銀河鉄道999夢弁当)
13:20 バスで出発
13:35 火野葦平旧居「河伯洞」の見学と解説
14:40 バスで再び若松南海岸へ
14:45 「石炭会館」
15:15 若戸渡船に乗り、戸畑渡場からバスで小倉へ
16:00 解散(JR小倉駅新幹線口バス駐車場)

ギラヴァンツ北九州 玉井行人会長 コメント

「花と龍」はこれまで7回も映画化されましたが、今回の若松・ロケ地ツアーは、最初に映画化され、もっとも原作に近い1954(昭和29)年公開の「花と龍」(主演・藤田進)のロケ地をたどりました。

1901(明治34)年に北九州で操業した官営八幡製鉄所(現、日本製鉄九州製鉄所)は日本の近代化の一翼を担い、その誘致に関して尽力した安川敬一郎、平岡浩太郎ら実業家、政治家らエスタブリッシュメントの物語があります。
小説「花と龍」はこの翌年、1902(明治35)年から始まり昭和初期まで、活況を呈した洞海湾で働く人たちの生きざまを描いた庶民の物語です。主人公は玉井金五郎とマン夫婦。それぞれ愛媛・松山と広島・比婆の農村からの「流民」として職を求めて洞海湾に集まった人々の一人です。強大な中央資本が拮抗する北九州で、立場が弱く肩を寄せ合って暮らし、その中から生まれたのが、いまも伏流水のように地域を流れる、互いに助け合うという「庶民のモラル」であり、困った人を見たら迷わず手を差し伸べる精神と考えています。
今回の若松・ロケ地ツアーに、私がコミットしたのは原作者、主人公の親族というだけではなく、「花と龍」の基調をなす「川筋気質」の精神、「地域のDNA」が、1960年代、干ばつに苦しむインドで、私財を投げうってユーカリの植樹活動に取り組み、現地で「グリーン・ファーザー」と呼ばれた杉山龍丸氏(1919ー1987)や、金五郎の孫でもあり、アフガニスタンで医療、用水路建設などに生涯をかけた中村哲氏(1946ー2019)に象徴される国際人道支援活動に連なっており、ギラヴァンツ北九州のクラブ・フィロソフィー(哲学)の一つに位置付けているからです。
一人でも多くの人たちに、あらためて北九州という地域のDNAの価値を再認識していただければと願っております。

ギラヴァンツ北九州
取締役会長 玉井 行人